スヌーズレンの概念を整理中 2

  • 2017.08.29 Tuesday
  • 22:33

6月のから8月にかけてスヌーズレン関係のイベントが多く、いろいろなことを学び、自分なりに考える時間を得ることができました。という訳で、前日、アップしたスヌーズレンのブラッシュアップしてみました。私のなかのスヌーズレンは、まるで生き物のように変化し続けています。これまでは、利用者-パートナー-多重感覚環境・活動の3者関係で考えていたのですが、スヌーズレンのコアであるリレーションシップを最前面として捉え、多重感覚環境をリレーションシップを促す触媒としてモデル化することで、私のなかではスッキリしました。

 

 

 

 

 

 


 

 



 

スヌーズレンの概念を整理中 1

  • 2017.07.31 Monday
  • 13:44

 スヌーズレン実践パートナー養成講座が近づいてきました。どのようにスヌーズレンをお伝えしたらよいのか思案中です。創始者アドさんの言葉や思いを大切にしながら、私たちが積み上げてきたスヌーズレン実践の枠組みをまとめています。

 日本のスヌーズレン実践者の皆さんへのアドバイス アド・フェルフール「私が思うには、スヌーズレンでもっとも重要なことの一つは重度障害者の世界を理解すること、つまり、どのように彼らが物事を捉え、どのように彼らが彼ら自身の世界を見出すのか、ということを理解することの困難さです。なぜなら、私たちは私たち自身の世界にとらわれているからなのですね。」

 

客観科学は、人の心をつかむことはできない

  • 2016.08.28 Sunday
  • 13:55

 鯨岡峻先生(京都大学名誉教授)の御講演のなかで、一番、心に残った言葉です。そして現場で生じている事実を捉える視点を、改めて認識することができました。
 鯨岡先生が提唱されている「接面パラダイム」は、スヌーズレン実践・研究において重要な枠組みであると考えています。しかしながら日本の医療・教育・福祉領域では、まだ客観科学によって得られたものこそがエビデンスであるという従来の客観科学パラダイムから脱却できずにいます。スヌーズレンで生じていることの断片は、いわゆる客観科学のパラダイムに基づいて実証することは可能で、感覚刺激が人間に及ぼす影響に関する多くの示唆は1900年代にすでに感覚統合理論などの他の研究領域において得られています。ゆえにこれからのスヌーズレン研究は、さらに次の次元に進め、断片的でなく、より包括的に進めていく必要があります。しかし従来の客観科学パラダイムでは、スヌーズレンという現象を真正面から捉えるには、あまりにも不十分であると考えています。私が大学院生の時、トーマス・クーンの「科学革命の構造」について学ぶ機会を得ました。その時代の主流である科学パラダイムによって説明できないことが生じたとき、次のパラダイムが生じる、、私は、スヌーズレン研究が、現在の主流である客観科学というパラダイムを次世代の科学パラダイムへ移行させている一つの領域であると考えてます。そしてのそのパラダイムの一つは、「接面パラダイム」なのではないかと考えています。
 次の時代を創る研究・実践パラダイムを見出し、現場実践・当事者の思いや実感を尊重することができるスヌーズレン研究にチャレンジしてみませんか!(日本スヌーズレン協会機関誌 スヌーズレンジャパン46号 2016年)

だれかのためではなく、だれかを思い行うこと

  • 2015.08.28 Friday
  • 13:54

 福祉現場で働く私たちにとって、「利用者のために」というフレーズは、支援の基本的な姿勢であったり、ごく当然のこととして捉えている言葉だと思います。そんな私にとって、プロ野球選手イチローのインタビューでの言葉は、とても新鮮でしたので紹介します。

 

 「ヤンキースでは『勝つこと』が使命であり大前提だ。加えてファンは勝つことだけでなくプロフェッショナルなプレーを見たがっている。しかしヤンキースの「ために」戦うのではない。大切にしているのは、『思い』だ。『何かのために』は聞こえは良い。でも時に思い上がっているようにも思える。人間関係においても言えることだが、誰かの『ために』やろうとすると厄介な問題になることがある。しかし、誰かを『思い』何かをすることには、見返りを求めることもなく、そこに愛情が存在しているから不幸な結果になることが少ないように思う。ヤンキースは『思い』を強く持たせてくれた組織だった」

 

「だれかのためではなく、だれかを思い行うこと」、スヌーズレン実践において重視すべき人間関係を示唆しているようにも思います。私をスヌーズレンに強く結びつけたのは、非指示的な関係を重視するというスヌーズレンのコンセプトでした。このコンセプトをさらに深化できるようスヌーズレンにおける利用者とパートナーの関係性について、日々の実践を通して言葉にしていく作業を続けていきたいと考えています。 (日本スヌーズレン協会機関誌 スヌーズレンジャパン41号 2015年)

アニマシオンとスヌーズレン

  • 2013.08.28 Wednesday
  • 13:53

 アニマシオンという言葉を知っていますか。南欧にて使われている言葉で、スヌーズレンにもつながる考え方として私が注目しているものです。アニマシオンとは、魂・生命(アニマ)を活性化させること、イキイキワクワクさせることを意味し、遊びや余暇活動などを通した楽しみの専門性が追求されています。このアニマシオンは、教育や学ぶこと(エデュカシオン)とは対極的な概念ですが、学ぶことや働くことを根底から支えるものでもあるとも言われています。本来、学ぶことや働くことは楽しいことでしょうし、遊ぶときにはしっかり遊ぶからこそ、頑張って学び働くこともできる訳です。
 教育は、教諭によって行われますが、南欧では、アニマシオンを実践するための専門職(アニマトーレ)も国よって認められ、子どもたち放課後の活動や大人の社会活動などを支援するために活躍しているようです。つまり楽しむことが教育と肩を並べる存在なのだと思います。
 日本では、どうでしょうか? ただ楽しむだけのことが、教育と同等の価値あるものとして扱われているでしょうか。経済性や効率性などが重視されている現在の日本において、残念ながら「楽しむこと」の価値に重きが置かれている訳ではありません。療育や福祉の領域においても、「根拠のある治療・実践」などを追求することばかりに目を奪われいるようにも思えます。
 私は、療育や福祉サービスにおいて、エデュカシオン・治療とアニマシオンのバランスがとても重要であると考えています。そして、これまで追求されてきたエデュカシオンや治療のみらなず、これからの時代は、アニマシオンを追求することがバランスを保つ上で大切だと考えていますし、その価値を多くの人々が認識し、「楽しむこと」を本気で追求する専門性の構築の必要性を強く感じています。
 20年前、スヌーズレンと出会ったときの衝撃は、今も忘れることができません。当時、重症心身障害児・者施設に勤務し、感覚を使った治療的活動に取り組んでいた私に、そうではない感覚活動の可能性、つまり感覚に関する専門的技術を背景としながらも非指導的な関係性を深めることができる楽しみの場としての可能性を、スヌーズレンは私に気づかせてくれました。今、思えば、それはアニマシンとしてのスヌーズレン先駆性を感じていたのかもしれません。
 アニマシオンという概念は、まさに私が大切にしているスヌーズレンの一側面であるように思いますし、アニマシオンとしてのスヌーズレンという考え方は、今、私のなかでまだしっくりいかないスヌーズレンの理念を整理するときに非常に有用であるように感じています。 

 皆さん、一緒に、アニマトーレとしての道を究めてみませんか。

(日本スヌーズレン協会機関誌 スヌーズレンジャパン36号 2013年)

専門的知識・技術を背景にした“おもてなしの心”

  • 2013.03.25 Monday
  • 22:59

 スヌーズレンは、おもてなしの心とさりげない気遣いに満ちたアットホームなホームパーティのような時間です。ホスト(パートナー)は、ゲスト(利用者)のために心を込めて料理や音楽、ちょっとしたイベントなども企画します。それは、こっそり仕入れたゲスゲストの好みを生かしたものです。

スヌーズレンをもっと深めたいのであれば、それ以外の時間、しっかりとした仕事をすること

  • 2009.08.28 Friday
  • 13:53

 今年6月に開催されたスヌーズレンセミナーで、いくつか大切なキーワードが語られたような気がします。それは、 “スヌーズレンは、治療法・教育法ではないのか?” という疑問への答えのような言葉でした。「スヌーズレンをもっと深めたいのであれば、それ以外の時間、しっかりとした仕事をすること」、スヌーズレン実践者である楯佳子さんの言葉です。これは、ハンディをもつ方々へ関わる専門職として効果的な治療法・支援法を持っている方は、スヌーズレンに治療効果を求める必要がなく、スヌーズレンは純粋に楽しみを共有する場として活用することができる、そしてそこにスヌーズレンの価値が存在することを示唆しているのだと解釈しました。スヌーズレンを求める声のなかに、「重度のハンディを持つ方になにをしてよいのか判らない」ということが多くあります。個人的には、このような場合、まず適切な支援方法を導入するのが重要で、スヌーズレンは、あくまでもそれらの時間の隙間を埋める“遊びの時間”である方がよいのだと思います。
 私は、治療法として感覚統合理論を学んでおり、いわゆるスヌーズレン機器を治療的に用いることもあります。この場合、スヌーズレンという意識ではではなく、感覚統合療法・作業療法として行っていますし、その方がより効果的で洗練された理論体系を持っていると思いますので、あえてスヌーズレンに効果を求める必要がないのです。
 また楯さんとは、以前、スヌーズレン場面における生体の生理学的変化を測定する共同研究を行ったことがあります。大学にあるような測定機器を用いれば多くのデータ収集することはできるのですが、この研究は、途中で投げ出しています。そのような状況下では、とてもスヌーズレンを心から楽しむことができなかったからです。
 スヌーズレンを通して、対象者や支援者に多くの変化があります。それを否定する気はありません。しかし対象者の生じる一般的にポジティブと考えられる影響を目的としてスヌーズレンを手段化することには疑問を感じます。そのような手段は、既に沢山の治療法があるので、それを利用すればよいのです。スヌーズレンの価値は、対象者と支援者が共に楽しむことを目的とすることにあるのですから。(日本スヌーズレン協会機関誌 スヌーズレンジャパン25号 2009年)

実践のプロセス 個々に異なる好みを受け入れ共感的に支援する

  • 2004.08.28 Saturday
  • 13:40

 スヌーズレンに取り組む場合、まず利用者のニーズや日常的な楽しみ方についての情報収集が必要である。これらの情報をもとに、楽しみ方を活動的もしくは安らぐように行うのかを検討したり、好みの遊びに含まれている感覚刺激の質や量の分析、環境と関わるための身体的機能の問題などについて分析を行い、利用者に最適な環境を整えておくことが必要である。さらに支援者が提供できる活動や環境についても同様にその特性を分析し、利用者のニーズや好みに適合するかを検討、必要に応じて活動や環境を修正する。
 私たちに好きなテレビ番組の傾向があるのと同じように、利用者にも色々な好みの傾向がある。もちろんスヌーズレンの実践は、このような好みを分析的に探り出すことが目的ではないが、私たちの日常生活のなかでも、ある人と仲良くしたいと思えば、相手の好きなことを知りたいと思うであろうし、それを一緒に楽しみたいと思うものである。例えば、好きな女性(男性)とテレビを見るときには、自然と相手が好みそうな番組にチャンネルを合わせる。スヌーズレンの実践においても、利用者の好みの番組を知っていることは、スヌーズレンが大切にしている“楽しみの共有”に一歩近づくことにつながる。利用者の好みを分析すること(評価)、それはスヌーズレンの目的ではなく、スヌーズレンを楽しむための一つの手段である。 (太田篤志:福祉タームの深層理解 スヌーズレン. 月刊福祉, 8:84-87, 2004.)

利用者にとって快適な環境とは

  • 2004.08.28 Saturday
  • 13:39

 一般的にスヌーズレンの物理的環境は、利用者が好み魅了される視覚、聴覚、触覚、嗅覚、前庭覚(身体の動きに関する感覚)、固有受容覚(筋肉からの感覚情報)等の感覚刺激よって満たされ、独特の雰囲気を醸し出している。なぜこのような環境が必要なのであろうか。英国のスヌーズレン実践者であるJoe Kewinは、このような環境が私たちにとってのテレビと同じようなものであると説明している。重度知的障害を持つ利用者にとって、テレビは必ずしも彼らが受け取りやすい情報(刺激)を提供しているものではない。スヌーズレン環境は、試行錯誤の実践のなかで見いだされてきた利用者にとって受けとめやすく楽しめるテレビの代わりとなる娯楽機器なのである。ゆえにスヌーズレンで使用されている機器の特徴は、知的な楽しみ方というよりも感覚刺激そのものを楽しむ方法を提供する点にある。このような感覚的な楽しみ方は、一見奇異な印象を受けるものであるが、近年、このような感覚刺激に没頭するような活動は、自閉症者にとって非常に意味があるということが明らかになってきている。  またスヌーズレン環境を癒しやリラクゼーションのためだけのものである考えている支援者が多いようであるが、支援者にとってそのように見える活動も、利用者にとっては挑戦的な探索活動になっていることがある。もちろんスヌーズレンには、リラクゼーションの役割もあり、日常生活で降り注がれる無統制な刺激で混乱し疲れた心と体を癒すための、適切な感覚刺激と受容的な人間関係を備えてもいる。 (太田篤志:福祉タームの深層理解 スヌーズレン. 月刊福祉, 8:84-87, 2004.)

利用者と支援者(パートナー)の関係性を見直すことから始まる

  • 2004.08.28 Saturday
  • 13:38

 障害児者の福祉・医療・教育に携わる支援者とその対象者は、実質的には指導する立場と指導される立場となることが多い。支援者は、支援目標を達成するために対象者と関わるが、これが時に目に見えない圧力となり、対象者に重くのしかかる。スヌーズレンでは、「指導者―被指導者」という立場を限りなく取り除くことから始める。つまり「非指導的な関係」の構築である。  「非指導的」な関わりや、利用者の反応をありのままに受け止める関係のなかで、支援者も「なにかしなくてはいけない」というプレッシャー解放され、同時に利用者もあらゆる期待から解放され、自分のペースで環境と関わることができる。このような関係性の築くことで、両者に心地よさ、安らぎ、楽しみの共有が生じ、相互理解が促されるとされている。このプロセスが、スヌーズレン実践において最も重要なことであると考えている。 (太田篤志:福祉タームの深層理解 スヌーズレン. 月刊福祉, 8:84-87, 2004.)